他の生を奪い自分は生きている。
と言うか生物は皆そうだ。
人間の場合は便利な社会システムが構築されているので、直接的に奪うことを感じることは少ないのかもしれない。
だが確実に命のやり取りの中で私たちは生きている。
自分の経験上一番の獣の渡道。
何度も何度もくくりわなにヒットするので地面は荒れ放題。
もはや獣道かどうかも分からない状態だが、それでも繰り返し捕獲できる。
何ならここでは罠にかかっていない獣ともよく遭遇し、銃にて度々捕獲している。
この場所で随分多くの命が奪われた。
直接的に殺すという行為。
命の軽視なのだろうか。
私が命を奪うことで家族の生活が守られる。
地域の獣害が減り、農家の生活が守られる。
自然界の個体数バランスが保たれ、それに伴い植生が守られる。
植生で言うならば、昆虫等の生物も守られるし、豊かな水源も守られる。
私自身は快楽で生き物を殺しているわけではない。
慣れたとは言え、いまだ心が痛むシーンがあるのは事実だ。
だけど私には守りたいものがある。
狩猟者のことを残酷だとか、命の軽視だとか言う人もいるが、私からすれば狩猟者こそ本当の意味で命の重みを知っていると思う。
生きるため、食べるために殺す。
その行程を自身で行う意味。
普通は考えることはないだろう。
年中山を歩き、獣を探す。
見つけて捕獲し、山から搬出。
解体し精肉し、食となるまで。
志無くして続けれるものか。
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