「伝える」を仕事にって決意した最中、自分の過去のアルバムを久しぶりに見つける。
勝手に写真を使うけど皆許して。
両親が残してくれた記録、記憶。
丁寧に切り絵やコメントが残してあるのは、愛されていた証拠なのかと強く感じる。
色は褪せても思いは褪せぬとはよく言ったもので。
車の中で泣いているシーンは結構しっかり覚えている。
当時の六ノ里の子供会。
人数多かったなぁ。
今では半分以下か。
未来のために何とかしたい。
今まさに頑張っている部分。
小学生。
一人やる気無い。
スキー。
ウェアに時代を感じる。
片足滑りにハマっていた時だな。
六ノ里の本祭り。
他所には無い特大の竹を背負い舞う。
高校生時代。
六ノ里の場合は演舞中の唄も抜群に良くて、この部分からも唄と踊りが長けていたと推測する。
もう祭りがストップして20年を越える。
社会人1年目。
もう着ることのない制服。
当時の仲間たちは真っ当に生きているだろうか。
写真のお隣の友人とは既にこの職を離れた仲間であり、今やご近所さん。
当時の自分に対して言いたいことは山ほどあるけど、汚くなるので止めておこう。
写真を撮る、残すって何だろう。
記録を残すだけなのだろうか。
被写体、撮影者の思いが籠ったもの。
年月が経っても当時を鮮明に思い出せるもの。
生きた証。
後の世に伝えるもの。
役割は色々あれど、それを見た誰かに何かを伝えるものであることは確かであろう。
そう考えたら幼少時代の自分を捉えた両親の写真は最高だ。
大事なことは被写体を思う気持ちなのかもしれない。
構図とか画質とか、上っ面の部分だけじゃないんだよね。
思いを込めた写真を撮ろう。
本質を浮き上がらせる文章を書こう。
ただね…ぶっちゃけ写真が撮りたかったわけじゃない。
文章を書きたいわけでもない。
伝えたいんだよね。
何かを伝えたくて、気付けば15年近く続けてきたブログ。
更にレベルを上げたいと覚悟を決めたこの頃。
もっともっと色々な事の本質に迫りたい。
そのツールとして写真や文章がある。
記憶、記録、更には思いのバトンタッチ。
そんな表現ができる仕事をしたい。
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