3月15日をもって今猟期も終了。
事故なく、怪我なく、無事終了。





今年は徹底的に人を山へいざなう事をしてみた。
計画当初は「いつもの自分たちの日常に連れていくだけだから負担も少ないだろう」なんて安易な考えだった。
だけど実際始まってみれば、日々自然界は見せる顔が違っていて。
よく考えたら「今日は獲れにくそうだから狩へ行くのはやめよう」という選択肢はなく、「今日は難しいけどどうやったら獲れるだろう」と毎日自然界と睨めっこ。
おかげで改めて狩猟について自分自身を見つめ直すことが出来たし、成長に繋がったことは間違いないなと実感。

そんな中でも特に思ったことが、自分たちの当たり前が世の中の当たり前ではないということ。
そりゃそうだって思われるだろうけど、改めて「初めての人」と時間を共有すると、気付かされることが多いと感じた。
当たり前の再認識だけでなく、取りこぼしていた気付きも多かった。
毎日の日課でさえも、新しい人と行うことで発見や成長に繋がるものだと学んだ猟期だった。

なんとか自分の地域を守りたい。
そんな思いで入った狩猟の世界。
狩猟文化などと言われるだけあって、古くからの慣習が強い世界だったのは間違いなく。
結果、自分みたいな狩猟者が反発に合うのも必然で。
かつては地域を守りたいなんて理由で狩猟を始める人はいなかったであろう世界。
そんな地域の文化に変化を切り込むのだから大変なのは明白。
しかし昔と今は状況が全然違う。

自分は文化として後の世に残していくには、時代の変化への受け入れも寛容であるべきだと思っている。
だからと言って新しく広がる世界を強要させるものでもないと思う。
新しいものと古いものは、無理にどちらかに寄せる必要はない。
融合する形もあれば、距離を置いたまま共存する形もある。
大事なのはお互いの存在を認め合うことではないだろうか。

昨今、狩猟者の高齢化が顕著である。
郡上市は猟友会員が300名、うち70代以上が約半数。
この地域は複数人で狩りを行う「巻狩り」という手法を実施している狩猟者が多い。
そんなグループも高齢者が増えるなか若手は増えず、活動の勢いが減ってきているのが現実。
しかしながら自分がお世話になっているグループは地域内外から若手が集まり、更にはそこから横の繋がりもどんどん増えて、それこそ活性化している状況だ。
理由はシンプルで、ここのグループの先輩猟師達は時代の変化の受け入れに寛容で、かつ理解が早い。
これからの時代の事を考えてくれていることがハッキリと分かる。

これは狩猟に限った話ではない。
どんな文化、どんな業界、ひいてはどんな社会でも同じことが言えるだろう。
物事は入り口の広さで今後の未来が決まる。
ただし気を付けなければいけないのが、何でも開けば良いというわけではないという事。
守らなきゃいけない部分もあるだろう。
閉じる、ではなく守る部分。
この匙加減が難しくも重要である。

自分の役割を考える。
守りたいものもあるが、開きたいものも多くある。
「本質を伝えること」をやりたい自分にとっては、開く側ではあるだろうし、更には「守り」と「開き」を繋げる者でありたいと思う。
とは言え、中々匙加減が上手くいかず、心をすり減らす日々。
それでも、疲れた時に話を聞いてくれて、また背中を押してくれる仲間がいる。
幸いである。

自分は、山(自然界)から多くのことを受け取っている。
インプットは自然界、アウトプットは人間界。
自然から受け取ったものを人に伝えていく。
文化もまた、人が関わり、伝えることで残っていくのだと思う。
明確な正解は無いけど、常に良い塩梅を探っていきたい。
残すために、開く。
その一心で。




















