200人の小さな集落に何故か3つの寺と、4つの神社。
その中で拝殿は3つ。
今でこそ人の往来は減ったけど、かつては人の交流が多かったのだろう。
今のような舗装道路はなく、集落を移動するには人の足。
最短距離で山を越えて。
白山信仰の中継地点でもあった六ノ里は大家(たや)とも呼ばれる宿が多くあったとか。
そんな過去、歴史がある集落が六ノ里。



そんな神仏、伝統を維持するために六ノ里の住民は活動しています。
恒例の神事に加えて、40年以上止まっていた拝殿踊りの復活。



三社拝殿踊り。
唯一独自に続けていたのは栃洞白山神社。
そこに続いて復活したのは平谷白山神社と位山秋葉神社。
復活してもう7年。
おかげさまで、この六ノ里の空気が好きで来てくれる他所の人も少しずつ増えている実感。

目的と手段。
元々地域づくりの一環としてスタートした拝殿踊りの復活。
目的は地域へ興味を持ってもらい、そして関係人口の増大。
手段はかつてからあった拝殿踊り。
実のところ自分自身、義務感からの拝殿踊りではあったけど、最近心の変化は大きく感じている。
始めた結果、少しずつ楽しくなってきている。
そう、六ノ里愛がより深くなっているのは間違いない。
しかしながらそこに葛藤が出てきているのも事実…今年は本当に心を揺さぶった。
伝統文化とは。
守るべきものと変わるべきもの。
頑なに守って消えていくのか、柔軟に変化して残っていくのか。
自分の確信的思いとしては、伝統文化は生き物としての本能とそこに関わる人の掛け算で生まれるもの。
当然関わる人が変われば変化するもの。
変化の許容なくして維持は無し。
自分はこの楽しい文化を後の世に残したい。
随分と揺れた心もこの三社拝殿踊りの三部作でしっかりまとまった。

踊りが終わり、日を越えるまで。
キリコの下でその日の余韻を感じ、そしてこれからを思い佇むのが六ノ里での自分流。
三社拝殿、まずは落ちて、次いで上がり、最後に整う。
位山での拝殿は最高過ぎた。
方向性は理想系に近い。
あとはただただ自分を磨くのみ。
来年に向けてやりたいことが増えた。
六ノ里の拝殿踊り、ではなく、六ノ里踊りと言われるように。
決意は固く。





















